父母・地域との連帯と「地域教育懇談会」の広がり
京都の民主教育は、教職員組合や学校の中だけで進められたのではなく、常に「子ども・父母・地域住民が手を取り合い、草の根から対話と共同を広げる」ことによって支えられてきました。
1. 「高校三原則を守る会」と地域懇談会(語る会)の草の根運動
1980年代に入り、教育委員会による高校三原則(小学区制・総合制・男女共学)の解体や、類型制・コース制の導入、進学競争・格差の持ち込みなどの管理統制攻撃が強まりました。これに対し、京都では大規模な府民運動が巻き起こりました。
- 「高校三原則を守る京都府民の会」の発足(1982年): 教職員組合だけでなく、学者・文化人・PTA・父母・地域団体が結集して「高校三原則を守る京都府民の会」が結成され、憲法と教育基本法の精神に基づき「地元からみんなが安心して通える高校教育」を守る大運動が展開されました。
- 小学校区・中学校区単位で広がった「語る会」「教育懇談会」: 運動の最大の力となったのは、各地域(山科、乙訓、山城、丹後、洛北、洛東など)で草の根から開催された「地域教育懇談会」や「語る会」でした。
- 山科地域の事例:「山科の教育を語る会」では、校区や学区を超えて小学校・中学校単位の小さな「語る会」(音羽川校区や安祥寺中学ブロックなど)が細やかに開かれました。映画上映や音楽会などをきっかけに集まったお母さん・お父さん、小・中・高校の教員たちが、「受験勉強に追われる子どもの姿」「コース制による格差や選別の不安」「家庭での子育ての悩み」を本音で語り合いました。
- 乙訓地域の事例:「乙訓の教育を語る集い」(西通学圏集会)などが長年にわたり開催され、高校入試制度の改変や学校再編に対して、中学生の進路と地域の教育環境を守る対話が重ねられました。
- 山城地域の事例:のちの2000年代における高校統廃合や入試制度改変の際にも「山城地域の高校統廃合問題を考える会」などが結成され、地域懇談会や『高校入試黒書』の発行を通じて、中学生や保護者の生の声を告発・共有する草の根の共同が引き継がれました[9]。
親たちが「わが子を競争に駆り立てたくない」「だれもが人間らしく豊かに育つ学校にしてほしい」という切実な思いを語り合い、小・中・高校の教員がそれに寄り添う中で、教育行政の押し付けを跳ね返す強固な地域世論が形成されていきました。
2. 定時制・通信制の「定通みんなの会」と生活・学び保障のドラマ
昼間働きながら夜間に学ぶ青年や、子育て・仕事と両立しながら学び直す生徒が多い定時制・通信制(定通)では、生徒・父母・教職員・地域労働者が結集した「定通みんなの会(定時制・通信制の教育を守るみんなの会)」や各種の共同組織が大きな力を発揮しました。
- お母さん生徒を支えた「託児室を作る会」: 1974年、通信制・定時制高校に幼い子どもを連れて登校せざるを得ない母親生徒たちのために、保護者、地域住民、教職員組合(朱雀分会など)が一体となって「託児室を作る会」を発足させました。ボランティアや地域の協力で校内に託児スペースを確保・運営し、「子どもがいるからと退学を考えたけれど、託児室があったから卒業できた」という多くの感動的なドラマを生み出しました。
- 家庭・職場訪問と地域の夜間学習サークル: 教員が手分けして生徒の職場や家庭を訪問し、過酷な労働環境や生活の悩みを傾聴。丹後地域などでは、生徒たちが自主的に結成した夜間の学習サークルを地域住民と教員が温かくサポートし、仕事と勉強の両立を励まし合いました。
- 「高校全入運動(全人の会)」との結びつき: 中学卒業生が急増した時期、すべての希望者に高校教育を保障するため、地域住民や労働組合と連帯して「高校進学希望者を全員入学させるため高校増設を実現する会(全人の会)」を結成。定時制・通信制の定員確保や給食・施設整備などの条件改善を勝ち取りました。
3. 「学校の主人公は生徒」を守り抜いたPTS(父母・教職員・生徒)運動
学校の民主的な運営や子どもの権利を守るため、保護者(P)・教職員(T)・生徒(S)の三者が対等に対話し合える運動が広がりました。
- 桂高校の「制服問題」と地域・弁護団の連帯: 1996〜1997年、桂高校で校長による一方的な制服導入方針が出された際、自由服の伝統を守ろうとする生徒たちの自主的な署名活動に呼応して、保護者有志が「学びあい育ちあう親の会」を結成。さらにOBの「ともに考える会」や地元弁護士、地域住民が署名活動(1万1千筆超)を支援し、最終的にスイス・ジュネーブの国連「子どもの権利委員会」へ生徒有志が意見表明に向かうという、世界的な民主主義の実践へと結実しました[19]。
- 嵯峨野高校の「三者討論会」: 放課後に生徒・教職員・保護者が100〜200人規模で集まり、学校生活のルールや生き方の悩みを本音で対話する「三者討論会」やPTS運動が自主的に開催され、三者で学校をつくる文化が根付きました。
4. 学校荒廃の克服と障害児教育・生活環境を守る地域共同
- 田辺高校の総合制改編(学校荒廃の克服): 1970年代前半、校内荒廃に揺れていた田辺高校(工業単科校)では、力による抑え込みではなく、教職員分会が「学園から暴力を追放しよう」と地域住民や保護者へ訴えかけ、地域・町議会と「田辺高校問題連絡協議会」を結成。地域住民の切実な願いに応えて1977年に総合制(普通科併設・男女共学)への改編を達成し、学校再生を果たしました。
- 与謝の海養護学校の建設(丹後「障害児を守る会」): 1960年代末、養護学校がなかった丹後地域で、重度障害をもつ子の親と教職員が「障害児を守る会」を結成。1,000人規模の住民集会や署名運動を経て1969〜1970年に開校を勝ち取り、障がいのある人もない人も共に暮らせる「民主的な地域づくり」へと発展しました。
- 洛西高校のラブホテル建設阻止運動: 1983年、学校隣接地にラブホテル建設計画が浮上した際、教職員分会がPTAや近隣小・中学校PTA、地域自治会など25団体に呼びかけて建設阻止同盟を結成[30]。約6,000筆の署名を集めて市議会へ請願し、業者に計画を断念させました。
このように、京都の民主教育における父母・地域との連帯は、「子どもの権利と人間的発達を真ん中に置き、草の根の対話と地域懇談会を通じて人間的信頼を結ぶ」という不屈の伝統によって貫かれています[1]。
※この文章は『府高40年史』を中心に、「府高60周年記念誌」「がんばる、桂」「嵯峨野高校、番外編」『高校入試黒書』教育情報誌「Pros&Cons」などを参考に、本サイトの責任でまとめたものです。
